Local土木屋さんが「技術士」を目指した訳


 私が「技術士」という資格を知ったのは、昭和の終わりの学生の頃でした。その時代には技術士の絶対数も少なかったらしく、教官から「将来はぜひ技術士を取りなさい。左うちわでメシが食えるようになるよ。ほっほっほ。」と、本気とも冗談とも取れないようなことをいわれました。

 その後、建設コンサルタントに就職し、当時の上司が「技術士」の名称が入った名刺を持っていて、妙な「眩しさ」を覚えたような気がしました。その会社でも技術士は数えるほどしかおらず、社員の皆さんは「技術士」取得を目指して励んでおられたことを記憶しております。

 旧西土佐村に採用された後も、名刺をもらうたびに「技術士」記載の有無を必ず確認していました。やがて年が経ち、知っている高知県の職員の方が「技術士」を取得したことを、人づてや技術士会のHP(当時は実名で合格発表している)、高知新聞(当時は合格掲載があった)で知り、ますます悶々とした気持ちが湧き上がってきたのでした。

 そして平成16年。私が36歳のときでしたが、「とにかく受けてみよう。考えていても始まらん。ダメ元で。」と思い立ち、技術士会から受験願書を取り寄せました。手引きや法令集も一緒に請求したけど、料金不足で一部送られてこなかったというオチもありました。届いた書類をぱらぱらとめくって見て・・・「ハードル高すぎ」「経歴かけない」「受験料高い(>_<)」・・なんていう理屈をつけ、その年の受験申し込みは断念、もう少し自力をつけてからかな・・なんてのんきに構えていたところに、「台風大災害」がやってきます。

 そうです。この年は例年になく台風が上陸接近し、旧西土佐村でも数十年に一度という甚大な被害が発生したのです。夏の終わりから翌年まで、毎日へろへろになるくらい、災害の調査、測量、設計書作成、委託先のチェック、県の審査、災害査定が続きました。

 そんな中、ある農地災害での出来事です。農地畦畔(練石積)が崩壊(というか、のり尻がはらみ「くの字」に折れたように被災)した災害での実地査定において、こちらは当然「死に体」であると判断し、取壊し復旧で申請していました。ところが、査定官は「折れた石積の根入れ部分は使えるだろ、この上に継ぎ足しで復旧すれば済むじゃないの。文句ある?」みたいな査定をされ、あっけにとられました。

 もちろん申請者側としては「そんな構造では土圧に負けて復旧後に壊れるおそれがあるし、残った石積も転倒しかかった状態なので、継ぎ足し施工自体が無理な話です。」と反論をしたかったのですが、随行の県職員から「この査定官は技術士も持っている人だから、あなたたちが理論でかなうはずがない。ここはおとなしく引き下がって、機嫌良く朱をもらえる(査定決定を受ける)ようにしなさい。」と耳打ちがあり、納得できないまま反論もできず、不本意な査定となったのです。

 自分にも技術士の資格があれば、同等の立場で堂々と申請理由の説明ができたかもしれない。横やりを入れられずに済んだのかもしれない。そんな思いがずっと残り、平成18年についに一念発起し、一次試験を受けることにしたのです。(それから後の流れは・・・別のページで。)

 なんか大げさなこと書きましたが、


この4つが、主な動機になります。

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