
スイスでは、法律、条例等はよく守られている。一時期難民等の流入により乱れたこともあったが、住民により意識的に元に戻される。
良い意味での「公共性」、他人が嫌がることをしない「マナー」
対して、
郷に入っても郷に従わない日本人。特に集団になると異様な行動をする。
ヨーロッパは多民族、多国籍の国家である。例え悪法でも法は守り、厳しい処罰もある。
これが国造り、まちづくりのための一つの方法である。宗教、民族を越えた普遍性のため。
無いから作るのではなく、無いからそのままにしておく。→地方の個性
大きな違いは、ヨーロッパは大陸であり、日本は島国である。
ヨーロッパの国民一人一人に「国を守る」意識→国家、国境線の脆さを知る民族
特にスイスは農業国(自給自足)、観光国なので、地域を守ることが国益につながる。
そのための法律による強い規制、個人のモラル。 多民族の寄り合い所帯を守る
戦争と侵略の歴史
変わらぬスイスの都市(Stadt−City)の数←→激増する日本の都市(市)
ただ人工が増えたから「市」になるのではない。住民自らが自分たちの街が本当に「都市」にふさわしいものを備えているかをクールに見つめている。都市、地方の概念が明確に人心にあり、「都市」に必要なものは何か、「都市」にふさわしい「都市」とは何かを知っている。いわば、西洋人にとっての「都市」の概念は、日本人にとっての「わび」「さび」「間」「気」のような観念で存在する。
ヨーロッパは良くも悪くも過去の歴史を背負ってきた。対して、日本は明治維新と第2次大戦という2つの歴史の大きな不連続点がある。この変化点において、日本人はそれまでとは全く別の人種になったといえるほどに変化してしまった(たとえば、水戸黄門と明治時代の日本人、現在の日本人は本当に同じ日本人なのだろうか)。特に日本が第2次大戦終戦後にまねたものは「西洋」ではなく、歴史の連続性のない「アメリカ」であった。
歴史は重く、時として後世の負担になる場合もあるが、ヨーロッパでは国のあちこちにその土地の歴史が残っているのが当たり前である。
西洋における近自然工法の本質や思想を見ずに、西洋においての形態、形状がそのまま日本に導入できないといってあきらめたり批判したりするのは、自己の技のなさをさらけ出すようなものである。
維持とは、自然自身の成長が可能な生育環境の保持である。人間が管理を容易にするための「維持管理」ではない。
資源、環境、エネルギーに対する「意識」の違い。
交差点をロータリーに改造(交差点での待ち時間をなくす)
自動車の信号待ちでのエンジン停止(燃料の節約、環境への配慮)
建築物屋上の芝生(断熱効果、環境緑化)
廃熱の利用(ゴミ焼却の熱利用)
建築物の新築、改築に対する住民審査
資源リサイクルの徹底(鉄、アルミ、ガラス、プラスチック、陶器、土砂、枯葉等)
建物の窓の外側にあるブラインド(効果の大きい日除け)など